ライフコラム

失敗から学ぶ 共に生きる-共に遊ぶ その4

ishizawa_column-344x232今回は、障害のある人と共に働く、対等に働く関係づくりの失敗である。
 

15年ほど前だろうか、Aというスタッフと言い争いになった。

Aには重度の自閉症の弟がいた。その縁でライフに入ってきたのだが、最初は一生懸命みんなと和やかに働いて、時にはいろんな意見も聞くことが出来ているようにみえた。暫くしてAにある事業所の責任者になってもらった。すると現場からAへの苦情が出るようになってきた。
「我々は指導される立場ではない。Aは共に働くことが分かっていない」「障害支援はこうすべきだと、自分の方法を強制する。Aは福祉サービスをしたいのかもしれないが、我々は違うのではないか」ということだった。

Aに注意すると血相を変えて反論してきた。「何が福祉的な対応ではない? 共に働く関係だ? 福祉制度を使っているくせに偉そうなことを言うな!」ということだった。
 
似たようなことはその前にもあった。Bは看護師でもあった。専門家、看護師というプライドがそうさせたのか、Bの障害者対応はどうしても「上から目線」になりがちだったようで、古参の障害者とよく衝突していた。Bの拙さは「私は何でも分かっています」という傲慢さだ。TVコマーシャル見たいなことだ。

だから、当事者から間違ったことを指摘されてもそれを受け止める余裕がなく、「私はそんなことは分かって言っている」となる。自然とみんながBを無視しだす。孤立感を抱いたBが相談に来る。悩んでいるのか、反省しているのかと思っていたが「私はこの道の専門家である。私は間違っていない」と叫んだ。
 
福祉の専門家? そんなものは必要ない。必要なのは、お互い人として真摯に向き合って生きていく覚悟だ。そんな事を感じさせた経験である。(ライフ専務理事 石澤利巳)


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