ライフコラム

失敗から学ぶ 共に生きる-共に遊ぶ その3

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知的障害のIさんは、私にとってかけがえの無い人であった。若い時から職人だった父親と一緒に働き続けてきたIさんは、父親との折り合いが悪く仕事も辞め作業所に通うことになったのが今から20年ほど前。
作業所に来てから3年ほどたった時、家を出たいと言い出した。口下手のIさんだったが、話を聞くうちに分かったことは、障害基礎年金も作業所の稼ぎもすべて家族にとられ自分の小遣いがないという。了解を得て家族とIさん、私で話し合った。
 
Iさんの家族も高齢化し経済的にはかなり厳しい状況であった。持ち家のため生活保護も受けられず、家を売りに出すことも提案したが父親は頑として拒否され、結果としてはIさんの単身生活を認めてもらい、私たちが支援する事にした。知的障害者にはヘルパーが使えない時代の事だ。
 
Iさんの一人生活は寂しい事もあっただろうが、仲間との飲食など今までできなかった生活体験を送っていた。だが、僅かに貯め込んでいた貯蓄は家族がやってきて無心することも度々。そこで金銭管理を私が行いIさんの僅かな財産を一緒に守ってきた。
 
5年位たってからか、休むことが少なかったIさんが作業所を休みがちになってきた。心配して訪ねると、ベッドで寝ている。「腹が痛い」というので近所の病院にいくが薬をもらって終わり。その繰り返しのなか、突然激痛に襲われたIさんを救急病院に搬送。診察の結果、胃がん。それも「手の施しようがない」と語る医者。
半年以上の闘病後、まだ雪降る3月にIさんは逝った。「1年位前に分かっていれば」という医者の言葉に、私は「あの時(「腹が痛い」と休みがちになった時)に連れてきていたら」と悔やんだ。
 
「だ・い・じ・ょ・う・ぶ」といつも片言に語っていたIさんの痛みを感じきれなかった自分を責めてみたがどうしようもない。悔しさだけが残っている。
葬儀は仲間が仕切った。派手さはないが賑やかに、そしてIさんの生前の活動にみんなで感謝して送り出すことができた。あれから10年が経とうとしている。どれほど仲間の訴えを受け止めることができているだろうか。
(ライフ専務理事 石澤利巳)


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